hanamishitaiの日記

感じたことをつらつらと。

離婚が決まったその後

 

 

まずは別居という形に取る事になった。

それはそれでよかったのだが、「お父さんがいないから代わりに貴方がやって」と書類関係は私がすべてやる事になった。

 

家は生活保護を受給していたので受給証明書やその他の書類などを役所まで取りに行かなければいけない日々だった。学校終わりに向かうと間に合わないので、早退して向かったり、遅刻して向かったり。

 

母親が飲んで暴れた際には何をするか分からなかったので家にいて監視していた。

 

最初は離婚するまでの我慢だと思って過ごしていたが、いっぱいいっぱいになってしまい、私に甘え過ぎじゃないか、私の負担がどれだけあるのか、と話をした事もあった。

 

だが、母親は私も大変なんだ、お母さんの気持ちを考えてほしい、お母さんは大変なんだから手伝うのは当たり前じゃないか。

 

と言われてしまった。昼まで寝てる母に。

 

とても悔しかった。

 

 

終いにはバイトしてるんだから今月の家賃払ってと家賃を払う羽目になってしまった。

 

 

 

父親も父親で300万近くの負債があり、家族カードを勝手に使い込んで50万近く使っていた。流石にそれは見過ごせないから毎月引かれる1.5万ずつ返すように私が話をつけて毎月返済している。

 

給料も27万ほどあったのに実際は10万ほどしか給料もらえなかったと言って10万しか渡さなかった。外食費も出先で買う煙草代も全部母親に払わせていた。

 

給料が27万あったのは給料明細を見つけたから。

ちゃんとコピーを取ってある。

 

ちょっとした事でキレる、沸点が低い。

態度が気に食わない、電話に出なかった、食事が言っていたものと違う等で父親の気が済むまで説教が続く。

 

今までは難しそうな言葉を使っていたので誰も言い返さなかったが、私が言い返すようになったら黙るようになった。父親は高校中退の中卒で私はもう高校を卒業している。

 

学歴的にも知識的にも上なので対等に会話ができるようになった。「金の事は気にしないで好きに進学しろ」と言ってはいたものの、学費なんて1円も出していない。全て自分で出している。こういう人間だ。

 

 

離婚したらもう関わらないし、二度と合わない、と父親本人の口から出た。だが急に仕事場が近い時などは家に来る事になった。それに我慢ができず最初の時と言ってる事もやってる事も違う、自分の行動と発言に責任を持て。と話をしたところ、沸点が低い父親は乗っかってきて、ああもういいよ出ていってやるよ、もう家の事何もしない。と言ってこちらを追い詰めたような気になっていたが、私としては父親がいなくても生活できるよう必要な書類も全て準備していた。

 

私はそれでも構わない全然大丈夫だ、と、受け入れたけれど母親は、父親に頼みたい事もあるし来てもらってもいいんじゃないか?と父親側に付いていた。

 

 

父親と離婚したいって言っていたのに。居なくても生活できるって言ってたのに。その為にたくさん準備をしてきたのに。

 

 

延々に反対してたら、ついにわがままじゃないかと言われてしまった。もうこの家はだめだと思い、じゃあ父親が今後も家に来る代わりに私は遅くても社会人になるまでの2年間で家を出る。その事を口出しをするな。という約束で決着がついた。

 

 

 

結局はここまで高校卒業が危うくなりながらも家の為に尽してきた自分を捨てられたのだと思った。

 

 

結局は都合よく使われただけだった。