家庭。〜小学生編〜
私の両親が毒親であるというのは最近知った。
他所の家よりずれてるのかな、片親は外国籍だしそういうものなのかな、とずっと思っていた。でも違った。
両親がいて、私がいて、弟がいて。私は長女。
物心がついた時から学校帰りは特に遊ばず家で食器を洗っていた、ご飯を炊いていた、洗濯物を畳んでいた。初めて放課後に学校の友達と遊んだのは小2の時。ちゃんと親に許可を取って遊んだ。
両親は共働きだったからそれは当たり前の事で仕方ない事だと思ってはいたけれど、今思い返すと小学校の頃からおかしい点がいくつも思い浮かんだ。
私は未だに爪噛みの癖があるので深爪で、足の爪を噛む事はなくなったけれど未だにむしってしまい、足の薬指と小指の爪が黒い。保育園の時に爪を噛んでる写真が残っているのできっとその頃からまだ治ってない。いろいろ試した。口に含むと苦い透明なマニキュアをしても、服の袖を口に含んで袖越しに噛んでしまう、スカルプネイルをしても勝手にスカルプを剝がしてしまう、ある程度まで伸びたとしても気づいたら噛んでいる。
もちろん今でも治ってないのだから小学校の時も爪を噛んでいた。
爪を噛んでいるのがばれた時、言う事を聞かなかった時などにもちろん怒られた。けれど今思い返すと、叱られ方が異常だった。
背中をむき出しにされてベルトでむち打ちのように叩かれる、木べらや孫の手等で体を叩かれる、スクワットの途中の体制で母親がいいと言うまで耐える。母親いわく「ペナルティ」らしい。
ベルトはちゃんと革のベルトだったし、木べらや孫の手が壊れて使い物に無くなった時は、大きい業務用の定規の時もあった。スクワットは毎回40分〜1時間近くしていた。
家のゴミ捨て場のゲージの中に入れられた事もあった。
当時の私は泣きじゃくりながらごめんなさいごめんなさいと言っていたのを覚えている。
父親は知っていたけれど「お母さんを怒らせたのが悪い」と言われた。今でもその当時の話題は出るけれど両親2人揃って笑いながら、「そんな事もあったね笑 懐かしいね笑」と言っていた。こちらからすれば笑えるわけがない。「それ虐待じゃないの」と言ったところで「あんたたちが悪い事したんだからおこっただけ」と言われるに違いない。
もうこの頃からおかしい。
今でも父親(中卒)と口論になる際は、私の場合だと私の方が学歴も知識も上で口で言い負かす事ができなくなったのか父親が引いて不機嫌になるが、弟に対しては罵倒して父親の気が済むまで終わらない。父親がつばをふっかけた事もあった。
母親は物を投げる。叩く。わめく。叫ぶ。基本的に父親も母親も自分の事しか考えない人種達なので熱が冷めるのを黙って待つしかない。
父親も弟同様に母親に接しているので、母親も父親を嫌っている。現在は別居という形を取っているが頻繁に来ている。まだ籍は入っているが離婚するらしい。離婚した後も家に度々来るらしい。離婚後は来ない話だったのにまた急に変わってしまった。何故そうなったのか、その経緯も綴りたい。
この間はナスが完全に焼けていない、皮が向けない、などといちゃもんをつけ機嫌が悪くなって母親に文句を言っていた。
その度に後に母親が父親の愚痴を私に言ってくる。それが非常に面倒なのでその場で私が父親に反論をした。「人にご飯作ってもらっておきながらナスの焼き方がどうとか文句言うのは違うんじゃないの、自分だってやってもらって文句言うなら自分でやれとかいうんだから自分でやればいいでしょ」みたいな事を言った気がする。何このくだらない会話。結局父親の愚痴を言われたけど。
まずはこんなところで。
他にも綴りたい事がたくさんある。
なぜ私が家庭の軸になっているのか、今現在どういう状況なのか、なぜ母と父は仲が悪いのか、こうなってしまったのか、また明日にでも綴ろうと思う。
1500文字を超えてしまい、流石に長かった。こんなに長くするつもりも無かったんだけども思い返していくうちに長くなってしまった。
それと同時にすこししんどくなってしまった。