家庭。~中高生編~
母親からの虐待は小4の頃には自然となくなっていた。
特にきっかけ等はなかった。
中学に上がると同時に引っ越しをして、誰1人知り合いがいない中学へと進学した。
入学してからも小学校の友人とは連絡を取っていて、一緒に遊んだり通学したりしてる事がとても羨ましかった。
別に馴染めなかったわけでもなかった。普通になかのいい友達はいたし、いじめられたというわけでもなかった。
ただ、何故かしんどかった。毎日学校に行くのがしんどかった。頭悪いように馬鹿みたいにふざけて冗談を言って友達と接するタイプを演じて(?)いた。そっちの方がこの学校は生きやすいんだなと思って勝手にキャラ作りしていたんだと思う。
でもだんだんそれも限界が来て、学校に行けなくなった。行けたとしても通学途中に吐いてしまった。
それがきっかけで前に住んでいた引っ越しをしなければ通うはずだった中学へ編入した。
そこからは、喋りたい人とだけ喋り馬鹿っぽいキャラを演じるのはやめた。中学でできた友達とは今でも連絡を取り合ってるからよかったと思ってる。
高校ではそんな自分を変えたいと思い、誰も知り合いがいない高校へ進学した。厳密には1人いた。想定外だった。
高校は学力が低く、指定校推薦枠が多い為、指定校推薦を取って進学しようと決めて入学した。
けれどそんな事もできなかった。
高1までは割と順調に事が運んでいたのだが、高2から崩れ始めた。
高2の夏に虫垂炎になってしまい、欠席日数が増えた為指定校推薦が取れなくなってしまった。規定の欠席日数を超えてしまったのだ。
まあそれは考慮される場合が多いからと安堵していたのだが、その頃からより一層家庭が荒れ始めた。
母親も父親もお酒を飲むとその時の事を忘れる事がある為その時言われた言葉やされた事も私自身は覚えているのだが相手は覚えていない。
この時から私は絶対にお酒も煙草もやらないと決めた。
両親が外で飲んで酔っ払って徘徊してた私服警官に声を掛けられた際に暴れて、3時頃に警察署まで迎えに行った事もあった。
両親が喧嘩をする度に離婚だ、と喚く事がほとんど。その度にこちらに飛び火が来て投げた物を片付けたり、愚痴を聞いたりというのが日常だった。
何度も私は離婚してほしいと懇願していたけれど通らなかったのだが、ついに離婚が決まった。(仮)